茨城ゴールデンゴールズ-語録

「もともと5、6年と思っていたから。そろそろ区切りをつけないと、だらだらいっちゃう。選手は残します」 (2009/12/05 サムライ戦終了後 監督退任について)

(球団創設前のコメント)
長嶋さんてリスクの多い人生を選んだんだよね。でも、だからこそ、みんな長嶋さんを見てワクワク できたんだよね。
個々の人間が生きてこないと、劇場はおかしくないってことなんだです。監督は勝とう勝とうとするけど、 お客さんは勝つことだけがたのしいんじゃないんだから。
打つとか打たないとか、人間の能力だけで結論を出しちゃうのはスポーツのつまんないところだと思います。
打たれたからこそ、投げさせる、という場面がもっとあっていい。
『負けそうなら他のヤツがなんとかするだろう』という態度がいやですね。見ている側からすると 「負けたこと」に対してきっちりと決着なり落とし前なりをつけてくれないと。駄目になったことに ついては、ちゃんと自分でチャラにして進んでくれないと、どんどん人間が弱くなっていくんだから。
野球選手には『この姿を見に来て欲しい』と言えるようになって欲しい。
そのためにはリスクを取って死にものぐるいでやってみないと。
バッターが打てなくて返ってきたとするじゃない。そこで、『いやー、いいタマ投げるなあ』と言われても 進歩が想像できないんです。『ちょっと右脇の筋肉の使い方が悪かったなあ』と言われたら、じゃ、次 打てるんだなって思うけど。イチローくんとはかは「打てない理由が説明できるから、打率が出なくても 大丈夫」とかいうでしょ。そんな台詞を言える選手が一人でも多くでてくると、観客の野球を見る目も 変わってくるよね。
ただし、野球の試合に勝つ、という魅力はもちろん在るわけで。そこにひきつられ過ぎると面白い野球とは 離れてしまう。しかし面白いだけでは客は呼べないよね。
ボクが野球チームをやるとしら、野球演出家といったものになる。
(2009/05/16 「夢祭」Vol.4)

二年目っていうとさ、優勝に余裕がでてくるね。一年目は、自分たちが喜んじゃった。二年目は、喜んでいる 姿を見て、嬉しかったという。つぎ(の目標)が三連覇というとね。夢列車がなんか小さい感じでね。大きな 目標をどこにもっていくか。それが、ゴールデンゴールズの課題でしょうね。
4年やってね。社会人に勝ったことが無いのね。戦いっていうのは、人生の戦いでね。次頑張ればいいだって いうのは、あまり好きじゃないのね。4年もやって勝てないっていうのは、間抜けで失礼。そういう失礼な ことに参加してるのは嫌だっていう。敵わない相手に戦いに行くの…。もっと違う、戦いで勝つところへ…。 それが、僕の人生の哲学なの。だから、僕だけ行かないって言ったの。ゴールデンゴールズは、勝ったら 行くと思いますよ。勝ったり負けたりなら、今度頑張るっていうのがあるけど。今度頑張るっていうのを 4年もやっているっていうのはね。大人のやる仕事じゃない。(今度頑張るを)欽ちゃんに教えると、もっと 怠慢な欽ちゃんが出来上がるんだよね。応援してくれている人達が、悲しい思いをさせるっていうのが、1回 でもあると、嫌なの。
(選手達へ)目標が逞しくない。将来の夢っていったら、全員がプロって書いてあったの。プロって書いて あるんなら、社会人ぐらい簡単にやっつけてもらわないと。
選手はね、後援会という思いしてない。『お父ちゃん』、『お母ちゃん』かなっていう。始めね、 『おじちゃん』、『おばちゃん』だったの。今やね、『父ちゃん』、『母ちゃん』なの。もう、選手の 面倒をみたりしてるわけね。だから、やっと父ちゃん、母ちゃん、息子だからさ。息子っていうのは、親に 成長を見せるもんであってね。甘やかせすぎ。
俺、年とってるから、時間のかかる夢を追っかけている暇はないんだよ。
人生って流れるのは良くないの。 (2009/01/20 「夢列車」Vol.3)

優勝しそうになったら、欽督自ら足引っ張っちゃうから。優勝しないチームを目指すってこと。 なんでお世話になった方々に恩を返そうとしないのか、なんて声を聞くようになるまねにならないと。 ハラハラしないと。観客も選手もね。そこから優勝を目指す。現実味があるでしょう。
野球はやっぱり人と人とのつながりでしょ。2007年は選手自身が行ってましたから。「欽督、今年はなんか 優勝しそうな気がします」なんて。応援してくれている人たち、選手がかもし出す景色がよかったよね。
(今年も優勝すると)お客様もいい意味でわがままになっちゃう。
監督自らどうしようっておかしい。やっぱり県下の町の方から雰囲気として、そんな風に盛り上がって いこう、という機運がでてくるのを待たないとね。
もう一度クラブ選手権を制したら、アメリカツアーだね。これは現実味あるよ。ただし、貨物飛行でいって もらおうかって思ってる。お金がかかるじゃない。
選手は欲張って色々やろうとするでしょ。それをやって全部一流ならとっくにメジャーにいってる。だから 色々やればいいてもんじゃない。桑原のバント。いいでしょう。どうやってやるんだって聞いたら、スゥー、 ポッってやります、っていうんだよ。人のいいところを盗もうと思ったら、短いことばがいいよ。
「お笑い」がこんだけ栄えるようになったの、なんでか分かる?パクリOKだからだよ。
監督として存在感だけは作ってるよ。入ってきた人には特に説明みたいなものはしない。だから初年度は 欽督ってどんな人なんだろうって探る年。二年目から付き合いが始まります。
選手のランキングってもちろん付けてますよ。ただしポジション争いはさせてませんね。ポジション争いを すると、チームとして醜くなるからね。たくさん打ったとしたら、それ以上運を使わせないようにベンチ 入り。
トライアウトをしているときに一番見てるのは「顔」ですね。あと、「勝負強い」かどうかです。そして 「言葉」ですね。
安祐美が去年は怪我しちゃったでしょ。そこである意味不運をしょってくれたんだよね。だから2007年は 優勝した。
三振した。打てない。そんなときは後のバッターに運を追いてきたんだ、と考えること。
チームの結束力ということで言うと、プロも含めて日本No.1だと思っています。「自分が自分が」ではなく、 いい仲間だな。いいコンビだ。いいチームだ、という発想。そんな風に思える野球が理想です。 (2008/05/16 「夢祭」Vol.3)

「うれしい。うれしいには違いないが、それが普通じゃない。今まで、心の中では、ボクの野球はどこかで 怒られているんじゃないか、どこかで嫌われているんじゃないか、いつユニホームを脱いだら良いのか 心配していた。でもこういう素敵な賞をいただくと、そうじゃない、ボクのマイクパフォーマンスは大きな 形の賞として認められたんだ。もうユニホームなんか脱ぐものか」
(受賞理由の一つ地域振興について)「こちらが応援してもらっていただけです。褒められようと思って やってたわけじゃないですが、みんなに報告したいですね。茨城のみなさん、もらったよ」
「賞金はともかく、欽ちゃんとゴールデンゴールズがもらった賞なんですね。欽ちゃんと ゴールデンゴールズが同格に並んだというのもうれしいです」
小池唯夫パ・リーグ会長と顔を合わせ「プロ野球のトップの方にも野球の仲間と認めてもらったんですね」
(2007/11/18 「FOR ALL 2007」表彰式)

人間てね、愛されるとほっとする。幸せですもん。そんな幸せなところからは劇的なことは生まれないよ。 公式戦のときに、初めて話をする。「おれ、お前のこと好きなの知ってるか?」なんて言うと「えっ、 本当ですか」「うん、ここで打てばな」「んじゃ、ちょっと行ってきます」となる。 血の流れを激しくさせてそんな急所で会話を交わすと、いい仕事するんです。だから、僕はどーも監督に 嫌われてるみたいじゃないかなぁーって思ってるほうが効くんですよ。
一人ずつのドラマが出来るまでにね、3年くらいかかるって。
2006年は、「楽しい」と、「うれしい」と、「悲しい」と、「悔しい」と喜怒哀楽を全部やっちゃった からね。選手がみんなのありがたさをちょっと背負ったね。今までみんな半分遊びみたいなところがあった けど、責任を感じるようになって来たね。
僕自身は野球が楽しすぎ、馬鹿に楽しすぎだよ。楽しすぎるだけじゃ、神様が許してくれないよね。 茨城の人達に借りつくっちゃったから、お返ししなきゃならないから、また「辛い」がきたけど、 だけど、心地よい辛さだから。恩返し、改めて、自分達が野球できて喜んでるんだから、喜んでるだけじゃ なくて今度みんなを喜ばすよ。
本当はなくなっちゃったかも知れないのに、またこうしてできるということに「ありがとうございました」 と言える年にしたいね。つまり、優勝しかないんですよ。夢列車で駅に止まらなきゃぁ。終着駅ってのが ある。いつまで走ってもダメ。
野球ってさぁ、毎年若い人が必ず出てくるからうまく出来てるよね。コメディアンの場合は、10年周期って いうか、トライアウトが10年に1回って感じなんだけど。
みんなの前で「がんばってね」って言っても、がんばるやつはいないんですよ。「がんばってね」っていうの は一人の人の耳元に囁くとがんばるんですよ。
一流と言われる人はいい言葉持ってるよね。
優勝したときのいい顔、優勝したときのいい言葉がなければ、それは真の優勝ではない。喜んでくれる人に 届けるもんなんだから。 (2007「夢祭」Vol 2)

監督と選手のつながりがわかる、そんな絵をファンは期待している。
昔は「代打は3日前からの約束だった」とか、「監督からバントしろって言われて、腹立ったから 打っちゃった」とか、、人間関係が出る言葉が新聞にもっと出ていた。
うちのチームではこんな成功例があった。ある選手が三振しそうで、俺がひらめいて「三振したら次は代打」 って言ったの。本当に三振したから、次の打席で代打を送ったら、その選手が逆転3ラン。最初の三振が なければ本塁打はないから、三振した選手がヒーローでした。
お客さんは、数字や金額よりも、義理や人情の物語に期待している。だからベースボールじゃなくて野球 なんだよ。
優勝や金メダルで泣く選手には、苦労したんだなって、テレビの前でも心から拍手と涙が出てくる。 でも選手が笑ってると、ああよかったねっていう感じで、感動があまり伝わらないんですね。努力をして 何かを勝ち取った絵は、見てる方も泣けるの。
プロ野球には胴上げという優れたフィナーレの絵がある。胴上げは芸能界にも会社にもない。1年の物語を 締めくくる感動的なフィナーレが見たいよ。 (2007/03/22 朝日新聞)

(2シーズンで)進歩がないんだもん。一歩でも前に進まないとね。稲敷の人が甘やかすからいけないんだね。 非常に恵まれた球団にしてしまった。選手たちも、もう少し厳しい気持ちを持って欲しい。後援会の人も 声援の中にも厳しい言葉を入れたほうがいい。
(全日本クラブ選手権では)みんなが喜ぶ野球をできなかった。野球は結果だからそういうところが残念。 夢列車ってね、球団だけじゃないのよ。稲敷のまちの人もいっしょに乗っているものでしょ。稲敷の人は 「楽しみが先に延びただけだよ、楽しみがどんどん大きくなるよ」って言ってくれるのよ。そんなまちの 人のありがたさを(チームの人間が)感じてないなって思うの。
「野球」という点を中心にだんだんと輪が大きくなっていったらなって。理想は『つくる』『生産する』 こと。球団もつくる、笑いもつくる。有名な画家が出る、作家が出る、静かなまちでいろんなものが生産 される。そんなまちにしたい。農作物だけじゃなく、人も作るってのが理想じゃない。そしたら若者が 東京に出るんじゃなくて、稲敷に行ってコメディアンになるって思うんじゃない?いろんな夢が実現する まちになったらいいよね。
客作りも考えているの。今考えているのは『ママさんきれいコーラス隊』と『おじさん音痴コーラス隊』。 一目で稲敷市だって分かる衣裳を考えたい。茨城弁を使った応援団、やってくれる人はいないの?とにかく スタンドのほうが面白いと思わせなきゃ。これからはやっぱり、ほかのお客さんや選手を驚かすような 応援団が必要なのね。稲敷の人がテレビに出て楽しそうに応援してごらんよ。楽しそうなまちだな、住んで みたいなって思うよ。
今までは、ゴールデンゴールズって欽ちゃんの球団だと思ったの。でも、今回の騒動でひとつ気付いた ことは、稲敷のゴールデンゴールズだってことが分かった。でもね、優勝しようとするとね、笑いが なくなるの。野球は勝つから楽しい。勝たないと楽しくない。とにかくみんなが喜ぶ試合をしたいね。 (2006/10/30 夢列車(1))

いろんなことが重くて「辞める」って言えば、まとわり着いてる鎖が録れるって思ったの。 そうしたら、余計にこんがらがっちゃって…。でも、もう野球やる、何があっても一生やるって決めたから。
夜中にチームから「"辞めないで"ってファックスがたくさん着てます」って電話があったんだよ。 ボクはもう、新聞もテレビも見ないって決めてたんだけど。
それから驚いたのが、あののんびりした茨城の人が、すぐに動いて署名活動を始めたってことだね。 つくばでやってるって聞いて、チームに電話したら「もう稲敷でも、水戸でも、日立でもやってます」 なんて言ってんだもん、ビックリだよ。
本当のところ、あの会見が始まるまでは、解散なんて言う気はなかったの。テレビカメラが2台ぐらいだったら 「辞めた方がいい?ボクは辞めなくていいよねえ」なんてギャグにしようと思ったぐらい。 それが行ってみたら、カメラがいっぱい来てるから、これは背筋を伸ばしてちゃんと謝らなきゃ いけないなって。よし、思ったことをそのまま言おうって決めたら解散になってたんだ。
周りからは「チケットはいくら分、売っちゃった」とか「スポンサーが…」とか、直前までいろいろ 聞かされてたけど、謝るっていうのは、損得抜きにしなきゃウソだからね。
でも、ボクと茨城ゴールデンゴールズはツイてたね。会見の後、すぐに福井で、周りが静かだったから、 ボクもいろんなことが考えられたよ。「ワイドショーでコメンテーターがこんなこと言ってました」 なんて電話がいっぱい来たけど、伝えてる方が感激しちゃって、そのフィルターを通ってるから、倍ぐらい オーバーになってるもん。
それに、次の試合が魚沼市の震災チャリティーマッチだったでしょ。「チャリティーはやろうぜ。 その先は、また終わってから考えよう」って言えるじゃない。
天気予報が雨だったのに、球場に向かおうとしたらパッとお日様がのぞいてさ。雨で中止になってたら、 ホントにチームがはなくなってたかもしれないね。
つくばし と稲敷市のみなさんに昨日、あいさつもできてホッっといたら、疲れてきちゃったよ。
すぐにでも、新しい選手を入れて緊張感を持たせてやらないと。これからは"走攻酒"揃った選手を集めるよ。 走るのが速くて、バッティングが良くて、酒は飲みませんってね。このチームは監督が飲めないんだからね。 (2006/07/25 東京スポーツ)

野球を通して茨城のパワーだとか、茨城の人の良さとか、茨城の人が見える野球を作りたい。だから アマチュアの野球のほうがいいし、茨城の人の支えがないとできないんです。
ゴールデンゴールズががにぎやかにやってるんじゃなくて、茨城の人がにぎやかにやってるということね。 ゴールデンゴールズの名前が、茨城という県名を超えることなく、いつも肩を並べていうというのが理想。 野球を通して茨城の人が見えて、茨城の元気が見えて、茨城の心が見える。
子供のころの遊びといえば野球しかないよね。何もないところでやるっていったら野球ですよね。 中学3年の時だけ野球部に入ったよ、1年間。ちょっとね、自分の野球の可能性を見たいと思って、 3年の時だけ入ったの。しごかれる時期は入ってないんだ。
ライトを守ってたんだけど、ひどいライトでね。フライが飛んでくると、何を勘違いしたか、安全を期して ってワンバウンドで取っちゃっった。監督が「お前、何ワンバウンドで取ってんだ」って怒鳴るから、 手堅くって行ったら「手堅かないだろうお前は」って。
そのころの憧れのプロ野球選手は川上さん。その次のスターが長嶋さん。長嶋さん見てて、「いいなあ、 明るくて」「いいなあ、あんなにキラキラ輝いて」って。でも、長嶋さん見て、自分に野球は不可能だって ことが分かりましたよ。
僕の同期でいうと王さん。同じ世代で、1つ年上なのよ。1つちが井出、どうしてこんなに先を行く人が いるのかってね。かなり打ち砕かれたの、王さんに。コント55号って、王さんがホームラン55本の新記録 打った時にデビューしたんですから。
野球のチームを持ちたいなんて考えたこともなかったの。ある時、ヒラっと…。野球見てたら、 つまんないな〜、じゃあ何でつまんないんだろう、どうしてこんな風になっちゃったんだろう、野球ファン だったに…。何でつまんなにの?それは自分でやってみりゃ分かるって。
僕にとってゴールデンゴールズは99%スポーツ。でもスポーツっていうとね、必ず勝ち負けだけにっこだわる。 1%の「勝ち負けだけじゃないよ」ってとこにこだわりたね。だから99/%は変えるつもりはないんです、 1%を変えたい。
街ぐるみではしゃぐ、街ぐるみで声を出す、そして声を出すんだったら大きくにぎやかにしていかないと。 「なんだこのにぎわいは」ってマスコミを引き付け、人を引き付け、にぎわいによって自分たちも 元気になる。
こうやって僕がチームを作ったことによって、一番みんなに見えたのは、「ああ、誰でも野球って できるんじゃないか」って。
僕が最初に行ったのは「野球は祭りだ」って。街の人は野球を通して祭りをやろうって。
今度、新しく作ろうと思ってるの、フリーベースボール。1人でも野球ができるっていう。 知らない人同士チームを作っちゃう。軟式でやるから誰でも参加できる。両監督を僕が務める。 (CityOpera Vol.19)

野球をやっている人たちだけで、野球というスポーツを作っていくと、どんどん、後退していっちゃうん だよね。演出家がいないから。監督というと、えらそうに指図をだしそうだけど、演出家って、ちょっと 自由じゃない?
競馬中継のおわりに、優勝馬の走るシーンに音楽を流しただけで、一気に、バクチからスポーツになったん です。あれは、テレビの演出家がいたんですよね。
負けている試合でも、お客さんは来ているんだから、楽しませないといけない。負け試合だから、だらしない ピッチャーを出すんじゃなくてね、逆なんです。点数が離れてるダメな試合をどう見せるかっていうのは、 監督にはできないですよ。演出家じゃないと。
あんなに広いところで試合をしているのに、撮れない絵が多すぎるんです。
野球の試合で、ベンチに入れてもらったことがあって、雨が降ったんです。中断しているものだから、 お客さんがダレてるの。ぼく、外に出ていって、雨のグランドで、ずっとすべっていたんです。そしたら、 怒られました。「神聖な場所に入るな」と。
テレビって、見てる人が、どう見ているのか、っていうのが大事なんだから。野球中継が、そういうことを やらないのは、「なんで野球を見にくるの?」というところを問いかけない時代が、長すぎたんでしょうね。
「いつか優勝を目指している」とかいうと、その「いつか」がいつまでもになって、応援してるほうは、 つまんないんじゃないかなぁ。「勝ってよろこばせる」ということのおおきさを、知ったという。なしとげる という意味では、「気楽に」なんかじゃない場所に、いたいのよ。夢ってスピードがないと、 つまんなくなる。夢なんな三つぐらい同時に、追いかけなきゃ、だよね。これは公式戦の話だけどね。 公式戦以外の野球は、続けますよ。
昔のコメディアンというのは、ほとんど、小学校しか行ってなかった。「どうやったら、笑い、 うまくなるんですか?」その質問に答えられる先輩がいないの。だから、自分で、探すようになるのね。 今は、コメディアンも、優れた者達がいて、すぐ答えを教えてしまう。野球も、そうなんじゃないかなぁ… だから、みんなおんなじ選手ができちゃう。正しい言葉が出てくるから、正しいことをやればいいと 思い込んで、優れたものが生まれなくなる。自分で答えを探すと、個性のあるバッティングが生まれる わけで。優れた変わった打者が出てくるときというのは、優れたコーチがいないときじゃないかなぁ。
去年、都市対抗野球の茨城大会の準決勝で日立さんとやったとき、選手が、バントしていて「なんでバント したの?」ときいてみたんです。「相手、日立ですから。…1点取るのが大変なんで、手堅く」あ、終わったな と思った。僕はスターを育てたつもりでいたんですよ。どんなにうまい人が集まっていても、相手は、 アマチュアだと思ってたの。どっちが野球がうまいとかではなくて、スターなんだから、6対1で勝つだろう、 とそういうものなんだと思っていたんです。「1点取るのも大変」という言葉が出てきちゃっていたら、 スター性で向こうに負けているんですよ。「バントぐらいしないと、点がいっぱい入っちゃうもんで、ね!」 ぐらい言っていたら、うちの勝ちですよ。
ぼくが、野球でプロに負けてない、と思っているところは、試合が終わっても誰ひとり席を立たないって いうこと。お客さんに喜んでもらえるかどうかが大事なんだから。ぼくなんて、野球やってるの、ギャグ ですから。
まずは、野球の絵が変わらないと、と思ってた。ホームランを打ったら、一番そのホームランが嬉しかった ヤツ。例えば、ピッチャーとか、エラーしたヤツ。そいつが、一人で迎えに出かけて、「どうもありがとう」 とやれば、動作から会話が聞こえてくるのよ。いい芝居って、演技で言葉が聞こえてるんです。 (2006/06 夢祭 創刊号)

(開幕戦「巨人-横浜」の始球式)ボールに長嶋さんのサインをしてもらって、それを投げちゃったよ。
ゴールデンゴールズの試合は、テレビで流れたりするから、手の内はすっかりバレてるのに、 ウチは相手のことを知らないんだもん、不利だよね。
だから、選手には「お前の欠点は何?」って聞いて、それだけ練習しなさいって言ってるの。 相手は弱点を付いてくるだろうから、それが直ればウチの勝ちってわけ。(2006/04/06 東京スポーツ)

今は野球をやってるけど『欽どこ』時代の挑戦の気持ちがあるから楽しくて仕方ないよ。 (2006/03/15 日刊スポーツ)

昨年のキャンプは、何とか野球になるように。お客さんに失礼な点差にならないように。 という声が多かったが、今年のキャンプは、勝つための細かい練習をしている。 (2006/02/10 ニッポン全国ラジベガス)

(2006/02/01 new) 「監督がまだ僕の仕事になっていない。趣味のままって感じ。だから余計に面白い。」 「(定時制通信制高校野球は)小さなことで幸せを感じている。僕のクラブチームは定時制野球と同じ。」 「野球にリーグ戦とトーナメント戦しかないということが、今の野球が面白くない原因じゃないかな。」 「強さだけの優勝だと、それに向かってずるくもなるし、卑怯にもなる。」 「『オールスター家族歌合戦』みたいに、アットホーム賞とか高校野球にあったらいいですね。」 「9人だけで一生懸命戦ったから、さわやか9人賞。強打者に向かっていって、4本ホームラン 打たれたら正々堂々賞。」「『すいません。僕、どうしても自分がアウトだと思うんです』って 正直に言ったから、正直チーム賞。」(野球は)「70年くらいスポーツの王様で、テレビの王様で、 娯楽の王様で、あらゆるところの王様だった。」
「自分が成功したらたくさん喜ぶ人がいる、というのが'夢'であって、達成した本人だけがうれしい、 というのが'目標'だと思うんです。」「でっかい家を立てられる仕事は何かということから、 コメディアンを目指したわけです。」
(チャンスを活かすには)「欠点を逆に長所とすること。」「欠点を下手に直そうとしないで、 もうこのままでいいやと開き直って個性にしてしまう。」「必ずチャンスは周りの人が連れてくるんです。」 「でかいチャンスは怒られた中にしかない。」 「スターにする人がいる。自分でスターになるわけじゃない。」 「年を取ってからは夢を口にすることですね。」「誰と話をしても、『お笑いやテレビ? 全く興味ないね。今は野球の監督にしか興味がないね』と言ってた。」 すきっとVol.7

「意外とお金がかかったんだけど、お客さんがたくさん来てくれたおかげで、僕はゼロ。」
「町の玉子屋さんい若い選手が就職したんだけど、そこの社長が『欽ちゃん、 ウチのパートのおばちゃんたち、薄化粧するようになったよ。ゴロ寝もしなくなった』って。 そうした会社の人たちが、バスを仕立てて応援に来てくれる。」
旗揚げの理由は「野球に明るい話がなかったから」(2005/11/20 サンケイスポーツ)

チームを持ちたいと思ったのは、野球界でさみしい話が続いたから。野球もにぎやかにするんだったら 参加したいと思った。野球の裏番組でやってきたから、どれだけ野球が支持されてるか、どれだけファンが 多いかは知っています。冬場に視聴率30%を取っても、野球の季節になると半分以下になった。
日本の球場では選手と目線が合わない。だから、観客も乗れないし、乗せられない。
試合前の練習や試合中の交代期にマイクで言葉を添えると楽しくなる。野球をやっている時はマイクは 使いません。
ぼくの野球では、(試合が終わっても)みんな帰らない。マイクで何かやってくれるんじゃないかって、 期待しているみたい。試合中も休みがないから、売店で物が売れないらしいんですけど。
野球以外にもまだ何かある、ってものを見せないと。野球を通して喜びを感じるようなものを。
メジャーにもウチのマイク野球を持ち込みたい。 全国にゴールデンゴールズを作ろうと思っている。 僕がマイクを使うのも、お客さんが声を聞きたいから。選手の声も聞きたいし、審判がぶつぶつ言っている のも聞きたい。野球の違った面白さを見せていると、スポンサーをしたいという企業も出てくる。試合の 時にはその町でできる商品を紹介したり、物産展を開いたり。
ゴールデンゴールズはJR水戸に負けてよかたのかもしれません。そうした長い歴史のあるところに簡単には 勝てませんね。
ウチは選手個人に企業スポンサーがついています。今は6人にスポンサーがついています。
チームに入れてくれという選手は多いんです。でも、今はその選手の地元にもチームを作るから、と言って あげる。地元の言葉を使うような選手を育てていきたいと思っています。ゴールデンゴールズの選手も 茨城弁の勉強をしているんですよ。そうしないと、地元が見えてこない。ユニフォームを着ているだけで 小さくまとまってはいけない。
(2005/08/27 都市対抗2005)

仁平ってピッチャーがさ、公式戦で負けたときに、オレの顔見て泣くんだよ。何も言わないんだけど、 "監督ゴメンね"って言ってるんだよね。その後の負けたらあとがない試合で、みんなに一言かけた。 "負けたら明日、仁平が投げられなくなる。もう一度投げさせてやれ"って。そうしたらみんな、"うん"って 頷いて…。そこから5連打が出て逆転勝ちしたんだよ
野球チームをひとつ作ってみたけど、公式戦なんか、春に始まってあっという間に終わっちまった。試合を する機会が少な過ぎるんだよ。たくさんチームを作ることによって、全国区の独立リーグを 作りたいんだ。
ソフトバンクホークスの二軍と対戦。選手に「なんで打てないんだ?」って聞いたら、「あんな球、 見たことない」だって。みんな感心して帰ってきやがんの。特に嬉しかったのは、ボクの打球なんか 飛んでくワケないのに、外野を守ってくれたホークスの選手の気持ち。「ありがとね」って挨拶したら涙が 出てきちゃった。
(2005/08/18 YAZIN 2005年9月号)

(都市対抗予戦を終えて)「選手たちは自分のためじゃなく、お客さんや仲間のために戦うことが できるようになった」 YAZIN 2005年8月号

(2005/07/22 new) 「野球界とはまったく違うところで野球のことを真剣に考えてくれる人が必要だったのね。 糸井さんの名前があれば、世間も何かを変えようとしているんだってことを感じてくれるから。」 「野球って、技術より気分が大きいんだというのがわかった。 たとえば、エラーは野球につきものでしょ。 ぼくはエラーがあったら『ラッキー!』と思うの。 エラーしてベンチにうなだれた帰って来る選手に 『おまえ、あんなところでエラーするとは相当すごい奴だね。 あそこで運を使わず、次の打席に運を回したんだから』ってほめる。 そういうときってヒットが出る確率はもう90%以上」 「エラーすると、お客さんもベンチもみんあ「あ〜あ」って、ため息が出るのね。 ぼく一人が『ラッキー!』って喜んでる。そうするとベンチ全員がぼくを素人を見るような目で見るから、 それが不愉快でね。『バカヤロー、おまえらが素人だよ』って心では思ってる。 エラーで点を取られれば最悪だけど、点を取られなかったら最高ですよ。」 「ぼくは『自分を5番打者とは思わず、日本のスターだと思ってくれ』って言ったの。 『ストライク』とコールされても『ふ〜ん』って、涼しい顔で芝居してくれと。 そしたら、それからボールの見送り方が美しくなってね。 見送り方が美しくなったら、とうとうホームランまで打っちゃった。」 (都市対抗茨城予戦 予戦トーナメント準決勝で)「彼(仁平)の運を使おうと思った。 彼に、バッター一人ひとりに『明日投げさせてください。お願いします』って言わせたのね。 そしたらバッターが『いけねぇ、このまま終わると、こいつが明日投げられない』って思ったんだろうね。 『よし、行ってくる。逆転してやるから』って…。そこから5連打同点ですよ。」 「ヒットって5割くらいは運だと思う」 (都市対抗茨城予戦 決勝トーナメント日立戦で)「試合が終わってぼくを見た仁平の顔が、泣き出しそうでね。 それがかわいくて、「おまえといっしょに泣こうか。高校野球みたいだな」って。」 「日立戦は途中でバントしたんですよ。バントがいいとか悪いとかじゃなくて、 その理由が『1点取るのがむつかしいから、ここは手堅くいく』というものだった。 それで、ぼくは負けたと思いましたね。というのも、ぼくはうちのチームの選手をスターとして 育ててますから。」「スターなら最後は必ず勝っちゃう。だからバントの理由が『バントくらいしないと、 点が入り過ぎちゃうから』というんだったら、まちがいなく勝てた。」
「こんなに売店が売れなかった試合はないというのね。つまり、お客さんが売店に行く時間がないくらい、 ぼくが出ずっぱりでしゃべっていた。試合後も2時間、サインしたのね。そしたら『球場の職員が帰れないから 困っていますよ』だって。」 欽ちゃん球団 茨城ゴールデンゴールズ オフィシャルファンブック

(2005/06/23 new) 「テレビに出るとイヤなのは『大将』って言われるの。球場だと『欽ちゃん』っ て言われるの。今、テレビ出てた欽ちゃんに戻れるの、球場しかない」
「うちは常に逆転を狙ってる。逆転が一番面白い。野球は手品。笑いも手品。 打てそうな時、『チチンプイプイ』ってマイクを通して魔法をかけるの。 それで打てばオレのヒット!!」
「昔から競争するのとか、負けるのが嫌いで。昔は競争相手がいなかったから コメディアンになったの。」「競争相手のいないとこに行けば勝てるの。 それで野球に行ったの」
東京中日スポーツ 2006/06/22

(2005/05/25 new) 「スターを作りたいの。アマチュア野球は公式戦が少ないから、お客さんに 顔や名前を覚えてもらえないでしょ。だから、僕がマイクで解説してあげてるの。 スターはそこから生まれてくる」
将来は、プロチームのないすべての県にゴールデンゴールズを作って、全国を回るのが夢
(毎日新聞 2005/05/24 夕刊)

(2005/05/23 new) 「安祐美を入れたのはね、カワイかったから。舞台でもそうだけど、僕は演技ではなく 顔で人を選ぶ。」「クラブチームでは日本で初の女子選手って聞いていたから」
「山本なんかは、僕はよく知らなかったのよ。でも、アイツが来た時に、 お客さんがみんな拍手するんだもん。お客さんが喜んでくれるなら決まりだよね。」
「選手はお客さんが何を求めているのかわからないし、お客さんは選手が何を考えているのか わからないでしょ。その間に立って、客と選手の会話を成立させるのが目的なの。」
「だいたい普通にアマチュアの公式戦を見ても面白くない。」 「アマチュアはもっとお客さんが喜ぶようなものに変えていかなきゃいけない」
「ウチが日向キャンプをやった時に1人のおばちゃんが僕に言ったんですよ。 『ソフトバンクとやって勝ってよ!』って。(Yazin 発刊1号)

「ぼくの野球の原点は神宮球場を舞台にした「もう一つの甲子園」、定時制の軟式高校野球大会」 9人だけのチームの二塁手が骨折した。相手は二塁に打ってこなかった。 「ああ、これが野球なんだ」と共感できた。
「ぼくのチームも筋書きのないドラマを提供したい。それには野球ができる環境に感謝の気持ちを 持てる選手であること。」「お金のためではなく、白球にかけるがむしゃらな気持ちは必ずお客さんに 伝わるものだ。」「勝つことにこだわって、お客さんをつまらなくするプレーはダメだよー。」
「野球を代えたい、変わってほしいと願う人がたくさんいるとひしひしと感じている。」
「監督のぼくにとってはサインペンがバットで、お客さんとの会話がキャッチボールだと思っている。」 (2005/05/07 朝日新聞 私の視点ウィークエンド)

「あなたが一番お世話になっている人のことを思いながら、その人のためにグラウンドに立ちなさい」
「応援してくれている人、大切な人のことを思えば頑張れる。だからウチのチームで試合に勝ったら、 例えば、打った選手の奥さんとかを胴上げしちゃう。ボク?ボクはいいの」
「高校野球をしている人口は15万人。うち14万人は卒業と同時に野球から去っていくっていうから、 なにか事情があって去っていくその子たちが野球できる場を作りたかったの。 子どもたちの夢を実現することが、ボクの夢」
(2005年3月25日 サンケイスポーツ 真実の口)

「畑、畑、畑。野花があってボールがある。こういうところでやるのが夢だったの」 (2005/01/11 茨城県桜川村に本拠地決定時)

「夢列車の出発です。ご乗車ありがとうございます。非常に込んでいるため 乗り遅れる方もいらっしゃるとは思いますが、臨時列車も運行する予定ですので 慌てず乗ってください。私は車掌の萩本、運転手は鹿取です」 「奉仕が野球選手をつくる。農業でいい選手が生まれるというのがあってもいいよね」 (2005年1月8日 公開オーディション初日)

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