欽ちゃんのどこまでやるの

1976年10月6日〜1986年9月24日
1983年6月22日に42.0%を記録

コーナー

推理ドラマ…食事順を当てる
世界一短いドラマ…写真1枚にストーリーをつける
クロ子とグレ子のどこまでやるの?

挿入歌

想い出して下さい サンドイッチ
時間をとめて わらべ
ハンリーラ倉橋ルイ子・堀内孝雄
めだかの兄妹 わらべ
もしも明日が・・・。 わらべWITH KINDOKO FAMILY

コメント

「クロ子とグレ子のどこまでやるの?」ネタ作りは小堺の担当。 「打ち合わせはなし。『関根さん、宇宙人が乗り移った人の役をやって』と言えば、想像以上のことが 返ってくる」「小堺君の言う通りにやればうける。乗ってくると温泉のように次々とアイディアがわいてきて 止まらなかった。台本より20分オーバーしたこともあったりね」
欽ちゃんが関根に「おまえは100万円持っていると100万円持ってますという顔をする。 5万円だけ相手に見せて、残りの95万円を胸のポケットに入れているな芸をしなきゃ」 あまり動かないでいたら「今度は欲求不満になって元に戻した。すると僕もうけるように。」
小堺が言われた言葉は「空気を読め」「コメディアンはギャグ言うな」「お客さんの笑い声を聞き分けろ」 (2006/03/28 朝日新聞夕刊)

自分が出演したテレビは見ない。「振り返ると半生だらけになるもん。当時、ほどんどアドリブだったから 何やっていたか覚えていないな」。
真屋順子起用の理由「どんあことやっている人って聞いたら、いじめ役とかしているって。でも、この人、 いじめる顔してないんだよね。きっとその役は納得してやっていない気がしたから、 ボクとお笑いやってくれるんじゃないのと思って決めました」真屋は番組終了時「最後までお笑いのことが 分からなくてご迷惑おかけしました」と謝った。「分からなかったところが毎回、新鮮な気持ちで できたのだと思うな。テレビって慣れたものを見せるとマンネリって言われるから。」
「9時にバラエティー番組やってもスポンサーがつかなかった。まだ、お笑いに市民権がなかっ た時代なんだよね。」「この番組は、大変な歴史の幕開けだったんです。」
「ボク、あんなにテレビ出てたけど、一回も『芸がうまいね』って言われたことないもん。」「テレビって、 うまいから見るのじゃなくて、気持ちがいいから、気分が楽しくなるからなんだよね」テレビで 一番難しいのは、面白くやるのではなく、面白いものをどう伝えるか。
公開番組を見ているよう舞台を高くして収録した。「一枚の投書がきっかけだったの。なんでテレビを 見ていて面白くないのに、スタジオで笑っているんだって。」「この番組は、テレビで見ている人と、 現場で見ている人が同時におかしいというものに挑戦して、それができた、たった一本の番組です」
収録は放送一週間前。「だって変だもん、実際は病気で出られないという人が画面に 出ていたりするのって。」(月刊TVnavi 2006/03/27)

「9時枠は全局ドラマだった時代。まず敵を知ろうと『時間ですよ』を見たら泣かされちゃった。 でも、僕は燃えてたね。どうして9時台に笑いがないのって。笑いが市民権を得るためには、 ドラマに1度バラエティーが勝つ必要があったから。」「企画書も会議もなくし、何もないスタジオで 撮影法から考え始めた。」
当初はスポンサーも付かなかったが、平均視聴率21.6%を記録。(2006/03/15 日刊スポーツ)

「カメラさんと相談して笑いの'間'を撮り損じないよう、舞台の奥行きは1メートルに。 動き回ったり立つと撮り損じるので、座って撮ることになり、それで'お茶の間'の設定になった。 スポンサーをつけるためには'ドラマがいい'となり、それで家族ドラマのコントになった」
リハーサルを10回以上重ねるが、本番の収録では欽ちゃんのアドリブが炸裂。(2006/03/15 サンケイスポーツ)

出演

真屋順子下条アトム見栄晴、高部知子、倉沢淳美、高橋真美、斉藤清六、関根勤(この番組でラビット関根から改名)、 小堺一機、磯部弘、湯川友晴

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